1 高原の小学校
2 統合した学校の教師たちの願い
3 総合的な学習を軸にした学校経営に踏み出す
4 T小学校との出会い
5 「とことん学習」の深化
6 研究発表会が終わっても続く研究活動
1 高原の小学校
私が今から紹介するT小学校は,三河高原(愛知県)の奥地,三河湖を望むなだらかな山々に抱かれている学校です。
この学校が開校したのは,今から6年前のことです。過疎化の進む山村で,5つの小学校を統合して,開校しました。5つの小学校が統合して開校したのですが,それでも全校で60名内外の学校です。各学年一学級の単学級の学年です。
T小学校は,山の中の小高い丘の上に建設されています。時計台のある,全体が木造で建築されています。まさに「鐘の鳴る丘」をイメージするような学校と言えましょう。
校内に一歩入ると,ヒノキの香りがします。なんだかそこに入っただけで,心も体もリフレッシュするような恵まれた環境です。
でも,今回私が紹介しようと思ったのは,全館木造のその学校建築のすごさではありません。
T小学校が統合された時,誰もが心配したのは,いままで極小規模での学校で過ごしてきた,5つの学校の子どもたちが,互いに馴染むかということでした。子どもたちは,それぞれの過疎地の村から,バスでの通学になっています。T小学校に赴任して,新しい学校経営を出発させるにあたった教師たちは,何をどう学校の核にして,「子どもたちの成長」を「心やさしく,たくましく」育んでいくかに悩みました。
2 統合した学校の教師たちの願い
「先生,多数決は最後の手段です。もう少し話し合わせてください」
前学年で,話し合いの仕方を学んだ子どもたちが進級し,級訓を決めることになりました。ある程度候補を絞ったあと,担任教師が,「では多数決で決めましょう」と言ったあとの言葉です。
それは,統合当時には想像もできなかったほどの子どもたちの「たくましさ」であり,「やさしさ」の溢れている教室でした。当時をよく知っている教師たちには感慨深いものがありました。
開校当時,「この学校の経営の柱(核になること)を何にするか」は,先生方の一番苦心したことでした。とにかく恥ずかしがりやで,お山の大将というか,内弁慶というか,統合前の5つの小学校は,ほとんどの学校が複式であったのでした。授業もまるで個人指導の延長のような,手取り足取りの授業だったのです。そんな学校で育った子どもたちは,素直で明るく,笑顔の素敵な子どもたちでした。
でも,大勢の前に出ると,どの学校の子どもたちも萎縮して,自分の意思や願いを表現することを苦手にしていました。T小学校に統合したことの意義は,「大勢になった」ということです。もっともそれでも各教室は10名内外ですが,それまでの極小規模の学級からいえば,子どもたちには「まさに異次元の世界」だったのです。
「この最大の変わり方を生かさない手はない」というのが,教師たちの一致した意見でした。「学習にとことん粘り強く,たくましく食らいついていく子どもたちになってほしい」「話い合いや活動をふんだんに入れての躍動的な授業で,子どもたちを鍛えたい」教師たちの思いは,そんな願いに凝縮していったのでした。
3 総合的な学習を軸にした学校経営に踏み出す
子どもたちに「話し合いを粘り強くやって,自らの力で考え抜く力を養いたい」「極小人数ではやれなかったダイナミックな活動,自分の意見と友だちの意見を縫い合わせながら,粘り強く追求する学習をさせたい」そんな教師たちの願いは,「総合的な学習をこの学校の経営の核にしよう」とまとまっていきました。
「他の教科の学習では,どうしても時間数を気にして,その願いを実現することがなかなかできにくい」「総合的な学習ならば,このT小学校の環境を生かした身近な素材をふんだんに使っての学習が可能になる」教師たちの構想は,一気に高まっていったのでした。
ただ,その一方で,数年前まで,過熱するほど「総合的な学習」が,各学校の研究実践テーマになり,「総合の授業を研究しないのは時代遅れ」的な雰囲気さえあったのに,今になって,その勢いは下火になってきています。
むしろ総合的な学習から手を引き,英語になったり,基礎学習の時間になったりしている学校もあるほどです。「今更,総合を核にしていいだろうか?」という不安も,T小学校の教師たちにはあったようです。
ただそれでも,極小学校の経験を持つ教頭のS先生や,女性教務主任のF先生には,このT小学校の最大の長所を生かすことこそが,この学校に課せられた課題であると認識していたのでした。
「山の学校」でありながら,「川の中に一度も入ったことがない」「山の中で遊んだこともない」子どもたち。「よい子はここで遊ばない」は,当然のことながら,山の子でありながら,自然から切り離されての生活をしていたのでした。
そんな子どもたちに,「みんなで力を合わせて,」「自然に浸りながら」「いまどきの内外の問題にもかかわらせながら」と,S先生やF先生だけではなく,教師たち全員の構想は膨らんでいくのでした。「小さな学校の大きなぼうけん」として知れ渡っていた大雨河小学校の実践も刺激になっていました。
4 T小学校との出会い
私がT小学校と出会ったのは,開校3年目の修了式間近の3月でした。すでに,T小学校は,その年度初めから,3年間の文部科学省の「学力向上研究推進事業」推進校になっていました。
T小学校の教師たちは,「学力向上」という課題を考えたとき,「国語,算数」などの基礎教科の学力を視野に入れていかないといけないのではないかと,危惧したと言います。でも,T小学校にとっての「人間としての成長感のある学力こそ,この総合的な学習で私たちが,めざしていることなんだ」と,改めて確認したのです。
私が初めてお邪魔した子どもたちは,やはりどこか「小規模校の教室で育っている子どもだな」という感想を持ちました。それは,話し合いの学習規律がはっきりしていないことに,象徴的に表れています。私語が多くて,子どもたちが「出まかせ」に話したり活動したりしています。担任教師たちも,そんな子どもの言動にいちいち対応して,授業が拡散しているというか,集中して学び合っている雰囲気に弱さを感じました。教師のしゃべり過ぎも気になります。
私は,教師のみなさんに「学習規律」をT小学校なりに確立していくことの大切さをまずは語りました。10名内外の子どもたちが,コミュニケーション能力を鍛えていく「学習規律や話し合いの仕方」をまずはていねいに学ぶことだと思ったからです。
「学習方法」としては,「見つけ学習」の方法を基本にした問題解決的な学習をじっくり行うことになりました。幸い教頭のS先生は,子どもの側に立つ授業を真剣に模索されています。問題解決的な学習にも造詣が深くて,「なんとしてもこの子たちに,問題解決的な学習方法を習得させたい」と言う熱意が,私にもひしひしと伝わってきました。
教務主任のF先生は,いままで極小学校で手腕を発揮されてきたのですが,この新しい学校で,新たな挑戦に「わくわく」されていました。「T小学校のおかあさん」的な存在で,面倒見のいい教師です。「私は,この学校の出発から関われてしあわせです。がんばってみんなでやるので,前田先生応援してください」と笑顔いっぱいな表情で言われます。
翌年,私はT小学校に8回お邪魔しました。そこで参観した授業は
前期(4月から9月)
1年「ようこそ,新しいともだち」
2年「こいのぼりを作ってあそぼう」
3年「生き物のすみかを見つけよう」
4年「巴川の生き物となかよくしたいな」
5年「カンボジアの子どもたちのことを知ろう」
6年「巴ぶるるん奮戦記パートT」
後期(10月から3月)
1年「手作りいかだでうきうき セイリング」
2年「ひみつきち大作戦」
3年「虫の声,聴いてまねして,虫博士」
4年「生き物が飼える池を作ろう」
5年「地雷撲滅運動に協力しよう」
6年「下山の森林を守っていきたいな」
でした。この1年間の授業を参観して,具体的に教師のみさんと関わる中で,その教室の「学習規律」や「学習方法」の習得が進んだだけではなく,その総合的な学習の単元テーマが,まさに深まりを見せていることです。5年生に例をとるならば,明らかに前期の学習を根底に置きながら,更なる発展学習をしているのです。カンボジアの子どもたちの生活や遊びや食事,学校生活を探る中で,子どもたちに大きく衝撃を与えたのは,「地雷の存在」でした。それが後期の授業へと発展し,実際にカンボジアへ行って,支援活動にかかわっている人を探し出して学校へ招くところまでいったのです。
1年生の学習も,プールに浮かべるいかだ作りに汗を流しました。子どもたちの手に負えないことも多々ありましたが,祖父母や地域の人の援助を得ながら,見事に「いかだ」は浮かんだのでした。
子どもたちのエネルギーを感じる学習が,学校のあっちこっちの展開されていました。でもそれを支える担任教師はもちろん,全校の先生を含めて保護者地域の応援は力強いものがありました。
5 「とことん学習」の深化
翌年度は,いよいよ研究発表会の年になりました。その年も私は8回訪問する機会を得ました。T小学校の総合的な学習の名前は,「とことん学習」と言います。それはまさに粘り強く,失敗をしても泣かずにくじけずに,「とことんがんばる」ことをめざしています。
私は,T小学校を訪問してつくづく思ったことは,研究発表会の年度を迎えても,なんら焦ったり苛立ったりしていないことです。
5月の頃でした。研究主任のK先生が倒れてしまったのです。彼は学校の中でもとびっきりの張り切り教師です。その彼が「腰が痛い」と言いだして……しばらく整体に通ったにもかかわらず,治りません。大きな病院にて診察してもらうと,たいへんな病気だとわかって……そのときのK先生の落胆は筆舌に尽くしがたいものでした。学校としてもとても残念なことでしたが,「今はしっかり養生をして治療に専念してください」という校長先生の言葉で,みんな気持ちを切り替えて再出発したのでした。
T小学校の強みは,K校長先生は,国語に造詣が深く,子どもたちのコミュニケーション能力の育成に助言指導をされたり自ら授業をされ,S教頭先生は,「そんな単元構想で,果たして子どもがムキになるだろうか」と子ども在りきの視点から鋭い助言をされ,F教務主任さんは,担任教師の目線を大事にしながら,担任教師と苦楽を共にされていることです。
つまり学校全体が,研究主任のK先生がリタイアされても,それを痛手とすることなく,「共同体制を構築」していったことです。研究主任を引き継いだ女性のE先生も,ゆったり構えて,自らの学級で発想した事実を大事にしながら,みんなとひとつの「学び合い」を演出されていきました。まさに教師集団が「とことんやる教師集団」になっていったのでした。
研究発表会の当日は,大勢の参観者の中で,子どもたちは,萎縮することもなく,がんばれるたくましさを身につけている姿を表出していたのでした。
6 研究発表会が終わっても続く研究活動
今年の年度初め,教務主任のF先生から「今年もお願いします」とお話が私のところに来ました。多くの学校が,研究発表会を終えると,一段落して,それを区切りに研究活動をしなくなります。そんな中で今年もやるというのです。
「F先生,すごいですねえ。継続できるのですか?」「はい,私たちは研究発表会をめざしてきたのですが,それで終わりはなんともさびしいし,それではT小学校の開校時に誓った学校づくりの願いを放棄することになります」ときっぱり言われました。
秋深まったこの時期,春に続いてまたまたT小学校を訪問する時期が迫っています。この学校の教師たちや子どもたちに出会えることは,今や私の大きなたのしみになっているのです。そして,私自身,「これこそが,地に着いた学校経営の在り方だな」と強く思うのです。
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