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研究委嘱校の悩み
―「前さの窓」(前田勝洋学校行脚記)その8―

1 多くの学校で敬遠される研究委嘱
2 研究主任と職場の仲間の間に亀裂が―校長から相談を受ける―
3 空回りする研究主任の過剰な使命感
4 職員会議冒頭で詫びて出発した研究実践
5 率先しての授業公開をする研究主任
6 連帯感があってこそ,学校経営と言える


1 多くの学校で敬遠される研究委嘱

 今でも多くの市町の学校では,文部科学省をはじめ,県教委,市教委の指定や委嘱での研究校が存在します。それらの学校の多くは2年ないし,3年間の指定研究ということで,主題を掲げて実践的に研究するのです。

 ところが,教師たちの中には,研究校になることにアレルギーを感じている人もいます。研究指定になると,

 ・教職員の人間関係が,ストレスなどでこじれたり,もめごとが絶えなかったりして,不協和音が起きる。
 ・勤務時間が長時間で不定期になり,帰宅時間が遅くなる。
 ・研究のために,子どもから目が離れ,学校に荒れた状態が生まれやすくなる。
 ・教師の中には,体調不良になったり,家庭不和になったりで勤務に支障をきたす。

 などの理由で,拒否反応を示す教師も多々いるのです。

 つまり研究校は,日常的な実践活動をしているだけではなくて,どこかでかなりの無理をしなくてはならないという風潮があります。それが,多くの学校で毛嫌いされる要因でもあります。

 今回取り上げるエピソードも,そんな研究校での話題になります。

2 研究主任と職場の仲間の間に亀裂が−校長から相談を受ける

 それは6月の終わりのことでした。1本の電話がかかってきたのです。

 「前田先生ですか。突然の電話で失礼します」と,まったく面識もなかった隣りのO市で小学校長を務めるM先生からの電話でした。「実は私の学校は,来年度研究発表を控えています。私は今年の4月からこの小学校へ赴任してきました」「研究委嘱は3年指定で,すでに昨年度1年間が過ぎています。ところが遅々として研究が進んでいないのです」と困惑した電話です。

 話を聴いていると,その学校には,M校長さんと一緒にS先生が赴任してきて,今年度から研究主任になったとのことでした。私はS先生をとてもよく知っていました。なかなかの実践家で,若い頃から授業実践に熱心であり,教育論文も何度も入賞している切れ者です。

 ところが,M校長さんの話だと,S先生と今の職場の仲間との間に,かなりな亀裂ができているということでした。私は,それはおかしいと思いましたが,M校長さんは,「私がとりなしてもうまくいかないのです。みんなS先生を毛嫌いしているのです」と言われるのです。

 私はさっそくS先生を休みに我が家に来てもらいました。もう10年ほど前に,やはり別の学校で研究発表をするために実践研究をしていました。そのときS先生は若手のホープで,実に一生懸命がんばっていました。私が「もうそこまででいいよ」と言っても,まだまだがんばるのです。はつらつとしたガンバリの印象を私は強く持っていました。

 ところが我が家にきたS先生は,見違えるほどやつれて見えます。それに加えて目の冴を感じません。なんだかとっても疲れているように見えました。「どうしたのだ」と言う私の声かけに,「私はダメな人間です」とうなだれるのでした。

3 空回りする研究主任の過剰な使命感

 S先生の話を聴いていると,かわいそうなくらいに研究主任という立場にしばられている彼の姿が浮かび上がってきました。その学校の研究主任になってくださいという抜擢人事で,4月に赴任したのですが,彼を取り巻く周りは冷めていました。いろいろな提案をしても,受け入れる雰囲気がありません。彼はますます声を大にして言い出す始末でした。

 「やらなければならない」という彼の使命感が空回りしていたのです。研究2年目での異動で,「研究主任」に抜擢されたことは,その学校にこれまでいた教職員には,「嫌な奴が来た」という印象を与え,受け入れがたい存在であったのでした。だから,いくら彼が燃え立つような情熱を傾けても,それは拒絶されるばかりであったのです。

 私は,彼の話を聴きながら,彼にとって今回の異動は辛い異動であったなと思ったことでした。人間的な信頼関係がないままに,職場の空気を感じないままに,彼が動かざるを得なかったことも,かわいそうなことです。それは同時に,いままでその学校にいた教職員にも,違和感のある空気にさらされることであったのです。双方にとって,不幸なことであったということです。

 私はS先生に,「まずは君の心の中を教師たちに語ることだと思うよ」「君の悩み苦しんでいる,苦しい辛い心のうちを語ることによって,やっとみんなにも,わかってもらえるのではないかなあ」「そのためには,会議の中での職場の仲間とのつながりではなくて,普段着の中で,雑談的に語ることだと思う」と,あれこれ事例を挙げながら,彼の表情を読んで話したのでした。
 S先生は,「やってみます。私が裸にならないといけないのですね」「建前だけでのつながりではなくて,心底みんなと気持ちをつなげる努力が足りなかったと思います」と涙ぐみながらも,明るく話したのでした。

4 職員会議冒頭で詫びて出発した研究実践

 しばらくして,M校長さんから電話がありました。
 「前田先生,ありがとうございました。先生のところにS先生が行って……すぐに職員会議の冒頭で,S先生がみんなに謝ったのですよ。」

 「ぼくが拙速にことを進めようとして,みなさんの気持ちを腐らせてしまった」ことをS先生が涙ながらに詫びたのです。

 「みんなは突然のことでびっくりしましたが,S先生の心意にふれてもらい泣きする人も出てきました。そのあと,教頭さんが,『S先生も苦しかったし,みなさんも苦しかった……それは,教頭である私の怠慢さにも大きな責任があります』と言われました。私も教頭さんに続いて,謝りました。みんなの尻を叩くだけで,何の心配りもせず,気持ち良く仕事をする職場にしてこなかった責任を懺悔しました。」
 私はよかったなあと思いました。「そうか,S先生はみんなの前で自分の至らなさを詫びたのか。さすがだ,さすがS先生は並みの教師ではない」と思ったことでした。

 「前田先生,私はいままで先頭に立って走らないといけない,叱咤激励してみんなを引っ張っていかないといけないとばかり思っていました」「そうではないのですね。むしろみんなは私が新たな押しつけのような提案をするたびに,焦りと不安の中に陥れられていったのですね。苦しかったのはみんなのほうです」「誰が今は一番困っているのか,誰が焦りを感じたり不安を感じたりして困っているのか。それを察知して動くことが研究主任の仕事だとやっとわかりました」と,ふたたび我が家を訪れて語るS先生の晴れやかな顔を見て,一山も二山も越えて成長したS先生のすごさを感じたことでした。

 「S先生,学級経営をしていても,先生はできる子,やれる子,ばかりを目に入れていたら,本来の学級経営からは程遠いですよね。やれない子,できない子に共感して寄り添ってこそ,担任教師ですよね。研究主任もそういう意味で,苦しんでいる教師に目のいく立場に立つことですね。先生,もう研究実践の大きな山を越えたようなものですよ」と話し,私は,心から「よかった,よかった」と安堵したことでした。

5 率先しての授業公開をする研究主任

 研究主任は,「指図する立場ではないのだ」と改めてS先生は思うのでした。「自らが泥をかぶる覚悟をしなくて,何も始まらない」と自覚したのです。

 まずは,S先生が自ら授業を実践的にするためにも,「公開」して,みんなで考えを共有する機会をつくりたいと考えたのです。二学期も押し迫った時期に彼は授業公開をしました。彼はそれまでに私と語り合って,その学校の研究主題をどう具現化する授業をするか,悩みました。そこでも一番考えたのは,多くの教師が少し無理してがんばることができれば、達成可能な目標値にしました。日常的に行っている授業の「ワザ」を,学級づくりにマッチングさせながら,築いていったのです。

 彼は当日の指導案に,その学級づくりと授業づくりをどうマッチングしてきたか,という「悪戦苦闘記」を記録化して載せたのです。

 当日の授業は,彼の担任する4年生の子どもを相手に,道徳の授業で行いました。「いのちの重さを考える」ということで,資料を用意して授業を展開していきました。

 当日の授業は,学級づくりの成果を土台にしながら,多くの子どもたちの「学び合い」を感じさせるに十分な手ごたえを参観者に与えました。職場の教師たちは,S先生の綴った「悪戦苦闘記」を積極的にひもとき,S先生を囲んで授業づくりの雑談会が行われるようになっていったのです。
 「どうしたら,S先生の学級のような全員参加の授業になるか」「子どもたちが,語り合う,聴き合う姿勢を意識して行っている。あんな授業にするには,何を心がけていくべきか」と,次から次へと質問が飛びかい,まさに職場の仲間に「囲まれるS先生」になっていったのでした。

 私は「応援した甲斐があったな」と安堵しました。彼が赤裸々につづった「悪戦苦闘記」が,職場の仲間でのバイブルの役割を果たすに時間はかかりませんでした。

6 連帯感があってこそ,学校経営と言える

 教師になった人ならば,誰しも初心は熱いものです。ところが,その初心が風化していくこともまたよくある悲劇です。みんなみんな教師は,いい学級経営をしたい,いい授業がしたいと願っています。

 たとえどんなにいい考えでも,みんなが思い思いにやっているのでは,『我流の実践』の集まりになります。ほんとうの意味で学校経営になりません。

 そのようなことを考えると,「研究指定校」は,多くの困難な山坂があるものの,学校が一体感のある実践主体になることのできるチャンスです。でもそれは,きれいごとで達成されるほど簡単なことではありません。失敗や挫折,絶望を味わって,やっと辿り着く境地です。

 S先生は,今は連帯感の高まりの中にいる自分を感じています。振り返れば,なんとその道の険しかったことか,落ち込んだり眠れなかったり,……それはそれは厳しい試練でした。しかし,S先生は思うのです。きれいごとでは片付かない悪戦苦闘や試行錯誤,挫折や失敗のどの一つが欠けても,今の自分の味わっている境地には達し得なかったと。

 私はそんなS先生の懐古談をまぶしいまなざしで眺めさせてもらったことでした。






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