●この書にこめた願い
一九八〇年代のはじめ、一冊の本がベストセラーになった。出版部数七〇〇万をこえた、という記録はいまも破られていないはずだ。それは黒柳徹子著『窓際のトットちゃん』(講談社)。この本は著者の学園生活がいかに楽しかったか、そして一人一人の個性がいかに大切にされたかをファンタジーのように描いたものである。その「トモヱ学園」の創設理念を探っていくと、大正期に千葉で「自由教育」の旗をかかげ、学校改革運動を推し進めた手塚岸衛に出会うことになる。
しかし今、その学園はない。あのような学園の教育を今創り出すことはできないものだろうか。もしそれが現代にふさわしく可能であるとすれば、どのようにしてその理想を実現したらよいのだろうか。
そんな思いをこめて私は本書をまとめた。 中野 光
●推薦のことば
「閉塞と自由との間を問うために」
大田 堯
今回の著作は、既に毎日出版文化賞を得られた『大正自由教育の研究』(一九六八年)という労作に、更に現代的視点から改筆、加筆されたものと伺っている。不勉強の私だが、この著述を除いて、主として学校教育改革に軸足をおいた、大正自由教育についての精細で総覧的な事実の精査による研究成果を外に知らない。今回の労作は、思わざる視覚障害を前向きに克服され、ご本人以外の同学の士の協力もあり、一層高質な著者の集大成となったと思われる。
大正自由教育は、日露戦争と第二次大戦との間の、外は「脱亜」日本帝国、内に天皇絶体制下の、いわば「閉塞」と「自由」という微妙な時代の所産であろう。その本質を追究すべき課題は、現代における「教育の自由」の模索にも鋭くつながっているはずである。この課題を究めようとするこれからの研究者にとって、中野光さんのこの業績をふまえることは避けられないもの、と私は考える。
「不屈の人ここに」
上田 薫
大正自由教育の理念は、戦後教育の世界にも実は深く鋭くしみている。しかしそれは中野光という人あればこそ、だれにも理解できるということである。私は小学の一年生だけを大津市の女子師範附属で、自由教育の俊英西村久吉先生に受け持ってもらったのだが、そのときの印象の深さは今も忘れがたい。そのせいだとはさすがに言えぬが、私は昔から中野さんという人に惹かれていた。いつか近づくようになって、後に立教大学では研究室をしばらく共にすることさえ起こるのだが、共に老いてからもそうしたかかわりは変わらなかった。生涯を通じての畏友ということである。中野さんがその能力と意力とに秀抜だということはあらためて言うまでもないが、事に対してまことに誠実、しかも偏執が一切ない点はまことに及びがたい。最近の眼の不自由をものともせぬ、精魂こめたこの著作が志ある人の心をうるおし、研究と実践のための得がたき糧となることを祈ってやまない。
「四〇年の研究蓄積」
埼玉大学名誉教授 教育方法史研究者 川合 章
中野光さんはこの度『学校改革の史的原像―「大正自由教育」の系譜をたどって―』を刊行された。
氏が処女作ともいうべき『大正自由教育の研究』(一九六八年、黎明書房)を出版されてから四〇年。この間氏はひき続き大正自由教育の研究をすすめるとともに、教育の理論と歩みについての研究を多面的にすすめて今日にいたっている。
著者四〇年の研究蓄積に立ってまとめられた本書は、日本における大正自由教育研究の頂点に位置づくとともに、著者の言葉通り「学校改革の史的原像」にふさわしいものといえよう。
学校改革を志す多くの関係者の一読を願ってやまない。
「新しい学校を創るために」
和光学園顧問 日本生活教育連盟元委員長 丸木政臣
中野先生は、つねにわれわれの先達として、新しい学校づくりの先頭に立ってこられた。
「学校づくり」はその性格から、新しい道を切り拓くことが求めつづけられてきた。大正自由教育は、明治から今日にいたるまでのあいだに、一時代を画するほどの役割りをになった、といえる。
自由教育と呼ばれる学校改革の運動は、先人たちの大きな尽力によって新しい道を開いた、とはいえそこにはつねに想像をこえる困難があった。
中野先生は、日本の先達がとりくんだ学校改革の苦難の道をあきらかにされ、あわせて未来の学校像を創出する仕事にとりくまれた。
本書の構想の段階から最終案にいたる過程を知り、その行き届いた心配りに感銘を受けた。本書の完成が待たれる。
「今こそ自由教育を」
武蔵野美術大学名誉教授 久保義三
大正自由教育研究における我が国の第一人者である著者が、このたび満を持して本書を出版したことにたいして大きな喜びと期待をいだくものである。
教育をめぐる政治的、社会的雰囲気は、閉塞感を強めつつあり、教育における真の自由が狭められている時、本書の存在価値は極めて高いものがある。現代史において伏流水としての脈々たる伝統に輝く自由教育の成立と展開を多彩に史的分析したのが本書であり、白眉の書である。 戦後教育改革の中核であった新教育の実践を支えたのは、大正期の自由教育の遺産であった。今形骸化し、そして抑圧されている。
それを打破する原動力は、本書に詳述されているデュウイの主張する児童中心主義と生活教育の実践の高度化を、伏流水としてではなく、地上に奔流する大河に転化すること以外に道はないと思うものである。
「旧著との併読が楽しみである」
東京大学名誉教授 民主教育研究所代表 堀尾輝久
名著『大正自由教育の研究』(一九六八年)が教育名著選集に収められたとき、そのまえがきに、中野さんは、この書は絶版にし、改訂新版を出すことを出版社には申し出てあったと書いている。初版から四〇年、大正自由教育の研究をライフワークと定めて研究を続けてこられたその成果が、本書である。
両著の目次を比較すると、旧著には第一章「新教育」の胎動と帝国主義への志向、第二章帝国主義と教授・訓育の改造、第六章国家権力と自由教育、とあるように、日本の帝国主義そしてファシズムへ向かう政治、社会の動向の中に大正自由主義教育を位置づけようとする志向が強い。新著には、このような文言は章題からは消えている。それは、その後の研究が、生存者の貴重なヒアリングを交えて、実践者の授業改革、学校改革へのとりくみに焦点を合わせているからであろう。そこには、子どもと向き合う教師魂への共感と、細部にこだわる語りべとしての中野さんの本領が発揮されているに違いない。両者の併読が楽しみである。 |