1 夏休みを迎える
2 「すぐに役立つこと」を求める近頃の研修会
3 私の心に残っている研修会ベスト5(ファイブ
おわりに
1 夏休みを迎える
いつの間にか夏休みになりましたね。むかしの学校は,夏休みになると教職員もある程度自由な時間がありました。日頃は仕事に追われていた人も,たのしみにしていた旅行に行ったり,自分の好きな読書三昧に浸ったりしたものです。そんな時間がありました。今は職員動向表の提出がかっちり義務付けられて,いつの日も教師たちは,自分の消息を明らかにしておかないといけなくなりました。
そんなことは,「今に始まったことではない」と言う声が聴こえてきそうですが,確かに自分も動向表を書いて校長さんに提出したことを覚えています。しかし,それでもどこか,子どもと悪戦苦闘していた日々から開放されて,「自由の身」になった爽快感がありました。
「忙中閑あり」という言葉があります。新任教師で悪戦苦闘してきた教師も,困難な学級を担当して生徒指導に明け暮れていた教師も,この夏休みでほっと一息つくことができます。張りつめていた心の弦を緩めて,「それなりに」自分の心と体のバランスを快復することができます。
そんなことを言うと,「それはむかしの教員をやっていた人の懐古趣味的な夏休みで,今の夏休みはまったく教員は休むことができない!」と怒りの言葉が返ってきそうです。まさに今の学校現場は,「夏休みは,児童・生徒の休みであって,教員はそうではない」と内外から指摘され糾弾されて,おちおち休んでいることもできないと嘆息されることでしょう。
労務管理の厳しくなってきた学校現場。そんな学校現場が悲しくなります。教師に滋養と癒しを与えないでおいて,果たしてほんとうに「いい教育活動」が可能なんでしょうか。
2 「すぐに役立つこと」を求める近頃の研修会
「教員は研修と修養に務めなければならない・・・」と定められています。児童・生徒にとっての夏休みには,今や学校現場では様々な研修会が催しされます。私もこの7年間に,さまざまな学校から,さまざまな形の研修会にお招きを請けました。今年の夏も19回もそんな機会に参加することになっています。
「前田を招く」という形をとっているのですから,どうしても「前田から話を聴く会」のような傾向が強いようです。
「学級経営がうまくいかない。なんとかして学級崩壊しない学級づくりのコツを教えてほしい」
「授業実践で日常的に役立つ話をしてほしい」
「9月以降の授業実践の構想づくりをしたいのですが,助言をお願いしたい」
「研究発表を控えているので,研究構想について示唆をいただきたい」
と,その中身はさまざまです。
ただ共通して思うことは,「すぐ役立つことを求めている」という教師たちの嘆願するような声です。
正直言って,私も「すぐ役立つ妙案」は,持ち合わせていません。そんな妙案を,私が伝授できる知恵やワザを持っていたら,とっくのむかしに出版して,ベストセラーにでもなっていましょう。悲しいかな,「生き物をあつかう教育実践に,万能薬のような知恵やワザはない」と思うのです。
そうだったら,「前田を呼んでも意味がない」ということになります。まったくその通りだと思います。
今の学校現場の研修の中身を見ていて,つくづく思うことは,「先生方に余裕がない」ということでしょうか。「まずは子どもたちを静かに教室に座らせておくには・・・」というような,差し迫った状態をどうしたらいいかを欲しているのです。非行的な生徒指導だけではなくて,病的な問題を抱えている児童・生徒と向き合っている教師には,日々教室にいることが耐えられません。苦しく虚しく,つらいのです。
私は研修会に招かれても,そんな教師の嘆きや悩み,苦しみを聴いてあげるだけの仕事しかできません。いや,私が聴いていると,中には堰を切ったように涙ながらに話す教師もいます。その教師の中に溜まっている膿を絞り出すような時間になります。ただそれだけのことしかできません。
それでもその教師は私が何もアドバイスをしなくても,中には晴れ晴れとした顔になっていくのです。「ただ聴いているだけ,うなずいているだけ,共感的に受け止めているだけ」です。そのたびに私は,「学校現場には日常的に,教師の悩みや苦しみ,つらさに寄り添うリーダーが必要だ」と思うのです。ことによったら,リーダーの一番の要件は,「教師たちを孤独にしない」ということではないかと思います。「心が折れる」なんていう言葉が流行しています。変な世の中になったものです。
そんな研修の傾向になったことは事実ですが,それでもこの7年間の間には,実にユニークで私もハッとするような研修会をした学校や団体があります。ここでは,そんな研修会のベスト5(ファイブ)を紹介したいなと思います。
3 私の心に残っている研修会ベスト5(ファイブ)
(1) 教師としての素養を磨く「緑陰読書会」
その学校は山の学校でした。秋の紅葉で有名な名所にあります。落ち着いたたたずまいの中学校です。その学校を私が訪問したきっかけは,私が現役の頃に出していた職員室だより『あじさい』をその学校のM校長さんが読まれていたことでした。
「前田先生の学校づくりの記は,あの『あじさい』を読めば一目瞭然ですね。ぜひとも,先生の『あじさい』をわが校の教職員に読ませたい」とのことでした。
『あじさい』は,私が校長時代に9年間にわたって綴った職員室だよりです。教師たちの週案簿に反省記録として書かれた実践の足跡に,コメントを付けたものです。それを読み合うというのです。
中学校は部活動で夏休みも返上するような忙しさです。そんな中で,はじめは有志が集まっての読書会を催したのでした。夏休みに合計3回の読書会が木陰を求めて行われました。まだあまりエアコンが学校内になかった頃でした。
夏休みの終わりに,『あじさい』を読んだから,ぜひとも「前田先生に読後感を語る代わりに,学校づくりの記を教えてほしい」というものでした。
私はこの教師が遣う「教えてほしい」という言葉が大嫌いです。「ご指導してください」「ご教示願います」も同じです。「もっと自分を語れ」と言いたいのです。教師の悪い癖です。謙虚さとか遠慮がち,控え目な姿勢かもしれませんが,要するに逃げている,都合のいいことだけに自分を出しているに過ぎません。困ったことです。
その学校での緑陰での語らいは,「みなさんの感想こそが,私にはお聴きしたいことです」で始まりました。そうすると教師たちも私の書いた『あじさい』をいい加減に読んでくるわけにはいきません。そんなことで真剣な読後感想の交流が行われたことでした。
その後,その学校では,本のテーマを決めて「緑陰読書会」は続きました。斎藤喜博氏,東井義雄氏,大西忠治氏,吉本均氏,西郷竹彦氏などの著作を読みこんでいきました。すぐに役立つ研修会ではありませんでしたが,「教師としての素養を磨く」に十分な会になっていったのでした。
(2) 教師の力量をアップする授業分析会
私が現役の頃,たいへん流行った研修会で印象に残っているのは,「授業記録を読む会」です。まだビデオも普及していなかった時代のことですが,録音した授業を文字化して(逐語記録ですね),それをみんなで読み合うのです。
私が退職してからは,そんなことを夏の研修会にやっている民間団体は,社会科の初志をつらぬく会くらいになりました。(記憶違いでほかの民間団体もやっているかもしれませんが)
もともと授業分析会を広めたのは名古屋大学の教育方法研究室が,重松鷹泰先生,上田薫先生の指導のもと,現場の教師たちのサークル活動として広まっていったのです。私も若いころ,そのサークルに何度もお世話になって,「授業記録を読むおもしろさ,奥深さ」「子ども理解のおもしろさ,難しさ」を学ぶことができました。子どもの発言に込められた願いを読み取ることが,いかに難しいことであるかを感じながら,「そんなとらえ方もあるのか!」と何度驚いたことでしょうか。
でもそのおかげで,「授業を読む」ことに執着することができるようになりました。「子どものこだわり」の強さに驚いたり,教師の出のまずさに「自分も戒めなくては・・・」と反省させられたりしたものです。
そんな授業分析会をいまだにやっている学校があります。「力量向上講座」と銘打って,もう7年間も毎年毎年夏に行っているのです。
授業分析の対象になる授業は,6月に2日間に渡って,その学校で行われた授業の中から選ばれます。授業分析して,学び甲斐のある授業記録が選ばれます。それを文字化するのが,そのK小学校の場合,「校長先生がテープ起こしをする」ことにも,ユニークさが出ています。「みんな忙しいし,私が暇ですからやります」とA校長さんは言われますが,それは大変な作業です。記録化は,授業の中での言葉はすべて記録化します。「あー」とか,繰り返し言葉から,つぶやきまで,すべてです。
この授業分析会は,当初は2日間で一つの授業記録を読む日程でしたが,最近では1日になりました。それだけ忙しくなったということでしょうか。
それでもこの記録を読む会は,読みこんでいくうちにだんだん白熱化していきます。「授業に強くなる」には,一見遠回りのようですが,実はこの手法が一番教師の力量アップに欠かせない方法であると思っています。そんな「授業分析会」が,各地の学校で行われることを期待しているのですが・・・。
(3) 自分の足で稼ぐフィールドワークしての教材発掘会
総合的な学習が華やかなりし頃のことですが,その学校の校区内をフィールドワークして,教材発掘の探索をすることが流行りました。その学校に勤務しているからといって,必ずしもその地域を知っているわけではありません。だから,夏休みをとおして「校区たんけん」をして,日頃何気なく見ていること,見逃していることに目をつけて「教材に強くなる」きっかけにするのです。
いまだにそういう会を継続している学校もいくつかあります。
夏休みの1日を使って,教材発掘するのです。
・ウナギを養殖している方を訪ねて養殖ウナギの育て方を学ぶ。
・学区に流れる矢作川を上流から下流にたどりながら,矢作川の「すごさ」見つけをする。
・雑草の根っこを掘り出して,根っこを描いてみる。
・祭の山車を収納してある蔵を見学して,主催者に話を聴く。
・学区にある「こわいところ」を見つけて,自慢したいところとは別の視点で学区を見る。
・城跡(砦のあと),遺跡を訪ねて,実際に測量したり写真に収めたりする。
・道の中で「いい道」と「困った道」を探索して教材化を探る。
・駅前の都市区画整理の事業を調べて,教材化する。
・校区にある障害者施設を訪問して,障害者の生活を探る。
などなど,さまざまな視点でその学年,その学校ならではの特色をとらえていくのです。そして,それを持ち寄って報告会を行いながら,「教材の共有化」をみんなで図り,教材吟味の会を行います。
こんなフィールドワークを主軸にした現場学習は,「その校区への愛着」を教師たちに起こさせ,「やってみたい」「少々無理だけれど,なんだか意義ある学習になりそう」という気持ちにさせるのです。
私はそんな会に参加して,いつも思うことは,実際に自分の足で稼いだ学習対象は,自然と愛着が湧いてくるものだなと言うことです。何度同じような研修会に参加しても一様にそうなります。不思議なくらいそうなるのです。各学校でもそんな研修会を夏休みなどの長期の休みに計画するといいなあと思います。
(4) ストレス発散の一学期を語る会
このような主題で研修会を行っている学校はごくごく少数です。しかし,たいへん有意義な会になるような印象を外部から参加した者として思うのです。
その小学校では,夏休みに必ず半日を使って,「一学期の愚痴を吐き出す会」「一学期の自慢大会」などと,多少お笑い系のような主題のもとで,全職員が語る会を行っています。一見真面目ではないような研修会の題目ですが,そうでもありません。
今の学校は,「職場としての温かさ,厳しさ」がちゃんと共存しているでしょうか。「愚痴を言い合う会」ともなると,子どものこと,保護者のこと,はたまた自分の旦那さんのこと,などなど,多種多様な愚痴の山になります。そんな愚痴を報告する話には,暗さが付きまといますが,不思議なことに,笑い声が絶えないのですね。みんな笑い転げるような話に,いつの間にか,ストレス発散をしています。
職場の中に「同僚性」とか,「連帯感」とかがなくなったと言われます。その第一は,各自の仕事が過重になってきていて,なかなかコーヒータイムも持てないことです。明日の準備に追われたり,学級崩壊状態やクレーマーの親対策で頭を痛めていたりしているのです。
いつの間にか,「孤独な職場」になっているのです。悪気があってそうなっているのではありません。なんとかしなくては・・・と思いつつもできないままに過ぎてしまうのです。そんな職場には,意識して「おしゃべりタイム」「ケーキを食べて語る会」を設定しないと,学校が「経営体」になりません。職場の同僚との絆を太くして,「私独りが苦しんでいるのではないのだ」と思えることです。
(5) 一番実益のある授業構想を語る会
これは多くの学校がやっていることです。二学期が始まってから,授業の準備をするのではなくて,この長期の休みを使って,国語の物語文の教材解釈を学ぶ会をしたり,社会科の歴史の授業の構想を練ったり・・・さまざまな事前の準備です。
私がいままで述べてきた(1)〜(4)までの研修会は,あまり多くの学校では行われていないのが実情です。
それに対して,この「授業構想を語る会」は,実に多くの学校がこの夏休みに行っています。ふだんはゆっくりできないことも,教材に直接当たり,子ども目線になって教材を吟味するのです。一番実益のある会になります。
おわりに
こうしてみてくると,おもしろいなあと思う研修会は,「参加型の研修会」であるということです。教師たちが,ただ話を聴く会という「受け身」では,切実感の生まれた会にならないということでしょうか。教師自身が,まさに当事者であることを大前提にした会にするということです。
どうか,みなさん,この夏休みを有効活用して新学期を迎えてください。
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