1 夏休みが終わる
2 一変していた半年後の授業風景
3 授業の体をなしていなかった半年前の授業
4 「私たちも,前田先生の言われるような授業がしたい」――F中学校の教師たちの決意
5 F中学校で,金子みすゞ「すずめのかあさん」の模擬授業をする
6 F中学校の授業のすばらしさの源――生徒会活動としての授業づくり
<学校が変わること>
【注】「見つけ学習」について
1 夏休みが終わる
お盆を過ぎると,夏休みも一気に加速していきます。うだるような暑さはまだまだ続いていますが,もうすぐ9月です。子どもたちも今頃宿題の処理に追われていることでしょう。自分も子どもの頃,この半月がとても重くつらい時間でした。休みが終わることへの焦りというか,さびしさというか。とにかく残り少ない時間が切なかったです。
みなさんも新たな新学期の準備は完了しているでしょうか。そんなことは聴く方が野暮ですね。私の体験上,あわただしさの中で,休み前に計画したことの半分処理できていれば,オンの字ですね。私もいつもそうでしたから,たぶんみなさんもご多分にもれず,悔いを残しつつ休みを終えることになることでしょう。
2 一変していた半年後の授業風景
夏休み前に,ある中学校を訪問してたいへん驚いたことがありました。この学校は三重県の中学校です。今その学校を仮にF中学校としておきましょうか。
7月の12日でした。その日は朝から雨模様のたいへん蒸し暑い日でした。ときどき大粒のにわか雨が激しく降って・・・・まさに梅雨終盤の雲行きでした。 私は,その日,朝からF中学校の授業を参観したのです。F中学校は各学年2クラスの小規模な学校です。その日,その学校のクラスの授業を1年生から3年生まで全クラス参観することになっていました。
この蒸し暑さです。「きょうは長い一日になるなあ」とため息交じりに訪問したことでした。
ところが,訪問してあっと驚きましたよ。はじめに参観した授業は,1年生の数学と英語の授業。その二つともが,とても溌剌としているではありませんか。教師も生徒をよく見ていますし,生徒も敏感に反応しているのです。要するに「生き生きした授業」なんです。それは,2年にも,午後の授業参観になった3年生の国語と体育の授業にも如実に現れていました。
いや,3年生の授業が一番見応えがありました。生徒のほとんどが,意見を求められたときに,きちんと挙手します。それも手がピンと伸びて気持ちのよい授業姿勢です。また生徒が発言するたびに,「そうか・・・・」「おお」「なるほど」とほかの生徒の声がするのです。発言した生徒の内容に「反応している」のです。
私は,6クラスの授業を全部参観して,清々しい気分になっていました。朝訪問した時点での,けだるいような疲労感はどこかに吹っ飛んでいました。「よくまあ,この半年の間に授業も生徒の動きも,教師も変わったものだ」と思ったことでした。
3 授業の体をなしていなかった半年前の授業
それは半年前に遡ります。私は請われてF中学校を訪問していました。もともと三重県は私の住んでいるところからは遠距離です。そんなこともあって招請をていねいにお断りしました。しかし,「伊勢湾岸高速道路でお越しくださるとかなり便利なところですから」と何度も何度もお声をかけてくださったので,つい根負けしていくことになりました。
はじめて,そのF中学校の授業を参観した時,私は,声も出ないほどの困惑状態になりました。それは数学の授業でしたが,かなりひどい授業だった(授業者がこの学校行脚期をご覧になったら・・・・表現が適切ではなくて失礼しました!)のです。教師が授業中ほとんどしゃべりまくっています。それを生徒がただ受け身になって,やっているのです。それも私語があったり,笑い声が起きたり。教師は黒板を一時間に何度となく消しては書いています。
私は授業を参観しながら,「このあとの協議会でどうコメントしようか」考えていました。「見どころ」がないのです。もう「教師としては,やってはいけないことばかり」「生徒としてやらせてはいけないことばかり」なんですから。
私は意を決して語ることにしました。「よし,私にはどうせ遠隔地でもあるし・・・・二度と訪れることもないであろうから,はっきりと指摘していこう」と。変なお世辞を言うよりも,せっかく招いてもらったのだから,正直に言うことが礼儀だと思ったのです。
その日の協議会は,私の話を「聴く会」で構成されていましたから,約1時間半の間,授業の「いろは」を語り,本日の授業参観を例に出しながら,ほんとうに徹底的にこきおろしました。こんなにひどい批評(指導)をしたのも,久し振りです。私としては,自分の信念を曲げてまで,その授業を持ち上げるような演じ方はできません。その日はそれで終わったのでした。なんとも疲労感の押し寄せてくる,後味の悪い訪問でした。
4 「私たちも,前田先生の言われるような授業がしたい」――F中学校の教師たちの決意
F中学校へ行ったあと,私はほかの用事で忙しかったこともあって,すっかりF中学校の教師たちのことを忘れていました。
あるとき,そのF中学校の研修担当の教師から電話がありました。「前田先生,ご無沙汰しています。先回の先生の訪問は,わが校にとって大きなカルチャーショックを与えてくださいました。」「その後,全教職員と協議して,ぜひともこれから心底前田先生のご指導を,徹底して受けたいという意思で固まりました」電話の声は弾んでいました。
「それはまたどうしてですか」私は思わず聴き返したのです。「前田先生に徹底的に指摘してもらって,かえってすっきりできたのです。私たちも,前田先生の言われるような授業がしたいという気持ちが,高まってきたのです」F中学校では,目先の研究発表会に間に合わせるための授業公開ではなくて,もっと根本的に日常的な授業改革をすることによって,学校経営を再構築していく決意をしたというのでした。
私は一度の訪問で,F中学校の授業を滅多切りしたことを思い出していました。「そこで前田先生にお願いがあるのです。先生に授業法を具体的に教えてほしいのです」「前田先生は,いままで他の学校でも先生自ら授業をされているとお聴きしています」「つきましては,4月早々の時期ですが,私たちF中学校の教師たちを生徒に見たてて模擬授業をしてくださいませんか」電話の主はもう段取りをどんどん話していきます。
その電話の声には,F中学校の教師たちの決意がにじんでいるようでした。私も「みなさんがそこまで言われるのでしたら,行きましょう」ということになったのでした。
5 F中学校で,金子みすゞ「すずめのかあさん」の模擬授業をする
4月5日,まだ学校は入学式も始業式もしていません。そんな段階で,F中学校の教師たちを前にして,私の実践している授業法を具体的に実施することになりました。午前中は,私の考える授業方法を,学習規律を含めて,できるだけ具体的に提示しました。教師たちもやる気になっていることがわかります。次から次へと質問の山です。根掘り葉掘りとはこのことです。
午後からは,金子みすゞの「すずめのかあさん」で,私が教師たちを生徒に見たてて授業をしました。この「すずめのかあさん」の授業は,私のお気に入りの授業です。これまで何度も何度もあっちこっちの学校で,私なりに考える授業方法を具体的に提示する手段として,やってきました。
その模擬授業は,ビデオにも撮られていました。50分の授業を終えた後,今ほど行った授業について,何でそこではそうしたのか,板書はどういう書き方をしたのか,を具体的に示しながら,教師たちとの懇談をしたのです。私の提唱している「見つけ学習」(【注】参照)の手法については,とくに質疑が集中しました。「教師の出」アイコンタクトの仕方,ベルタイマーの活用方法,板書での色チョークの使い方,生徒との応答での教師の「反応」の仕方,生徒の「反応」の仕方などをできるだけ具体的に,語り意見交換をしていきました。
「いやあ,きょうの模擬授業は,とても具体的で・・・・・腹の底にしっかり落ち込みました。ありがとうございました。研修主任のI先生のお礼の言葉に見送られながら,帰路についた私だったのでした。
6 F中学校の授業のすばらしさの源――生徒会活動としての授業づくり
7月12日の6クラスの授業は,少なくとも半年前に参観した授業とは様変わりをしていました。
授業の合間に研修主任のI先生は,「F中学校では4月からあのビデオを何度も何度も見ました。それを生徒に話したところ,生徒会活動として『参加度の高い授業をしよう』となったのです。生徒会が立ちあがったのですね。それで,まずは3年生の生徒たちが,ビデオを見て・・・・・学習規律や学習方法を習得していったのです」「3年生の生徒たちは,自分たちが自覚して取り組みましたよ。その上,その授業をしているところを後輩の1年生,2年生の生徒に見せたのですね」「1年生も2年生も先輩の授業を参観することは,とても大きな刺激になりました。みんなやる気満々になったのです」と,終始笑顔で語ってくれました。
授業づくりに教師たちが精進することは,当然のことです。しかし,生徒会活動を巻き込んで学校の授業改革をした例を,私は知りません。「この学校は生徒会活動が盛んなんですね。だから生徒の力で授業改革が推し進められていきました。先生方もほんとうに真剣になってきました」I先生は遠くのことを見つめるように思い出しながら,語ってくれたのです。
事実,1年生の授業よりも,2年生の授業よりも,3年生の授業風景のほうが,はるかに真剣であり,男女を越えて「学び合い」の光景になっています。体育の授業は男女共習でしたが,素直で健気な学び合いの授業を展開していました。もう一つのクラスは,研修主任のI先生が,国語の古典の授業をしましたが,難解な古典の授業に抵抗感なく,生徒たちが参加しているではありませんか。
これは,只ならぬことだと私は強く思いました。そして,6つの授業を参観した後の協議会では,私の率直な驚きの感想を伝えました。「見事な変身です! 生徒会活動と一体になって実践を深めていかれたことに,驚きます。生徒のがんばりもすごいですが,そういう前向きな動きのできる生徒に育て上げていったのは,この学校の教師集団の力です」とほめたたえたことでした。
<学校が変わること>学校が変わるきっかけは,さまざまな実践方法があると思います。それを教師も生徒もいかに渾身の力で実践するかです。そんなことを教えられたF中学校の訪問でした。F中学校は今年の11月に研究発表会を控えています。
【注】「見つけ学習」について――――――――――――――――――――――
「見つけ学習」の定義的なことは,あまり手際よく書けませんが,黎明書房から出版しました『授業する力をきたえる』で詳しく書きました。
学習対象であるのが国語ならば,文章事実,社会科ならば,資料や見学先の社会事象から,その子の一番気になることを見つけて,それについて,自分の思いを持つ(これが国語の場合は,解釈と呼ばれたり読解と呼ばれたりするでしょうか)ことを大事にした授業法です。
「今から5分間でこの資料(実験)から,すごいなあと思うことを三つ見つけてみよう。そうして一番すごいと思ったことについて,自分はどう思ったかを書こう」と子どもに投げかけることを基本にした学習法です。
「見つけよう!」と言う呼びかけが,子どものやる気と自覚を喚起することになるようです。
好評! 前田勝洋先生の“教師の知恵とワザ”の真髄を伝える4部作(黎明書房刊)
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