〈授業の腕を磨きたい教師にこそ機会は与えられるべきだ〉
1 K小学校
2 私の現役の頃とK小学校のH教頭先生との出逢い
3 「力量向上講座」と言う授業公開日を設けているK小学校
4 K小学校の「力量向上講座」とは
5 K小学校の今―引き継がれる「力量向上講座」「授業分析会」
1 K小学校
今回,紹介する学校は,K小学校と言い,私がその学校に関わりだして,今年で8年目を迎えます。
校長先生も,初めてお邪魔した頃の方は退職されて,今の方にお代りになられました。このK小学校は,学年2学級のどちらかというと,小規模校になるでしょうか。私はこの学校へ1年間にだいたい6回程度お邪魔しています。
今回は,その学校での8年間の軌跡をたどってみたいなと思います。
2 私の現役の頃とK小学校のH教頭先生との出逢い
私がこの学校からお招きにあずかるようになったのは,H教頭先生との縁からでした。H先生は女性教頭さんです。
私がまだ現役校長であった頃,岐阜大学での公開講座でお話をする機会を与えられました。私は,授業実践の話を,校長職をしている自分の立場とからめながら,語りました。
校長として年間100回の「授業参観」ではなく「授業参加」をする
私は現役時代,職場の中で「年間100回の授業参加」を目標にしていました。「授業参観」ではありません。「授業参加」です。
それは,何が違うかと言えば,担任教師からの声かけで,「前田校長先生,今週の金曜日に社会科の歴史の授業をします。一緒に授業参加していただけないでしょうか」と。それは私が決して押しつけがましく,教室訪問をするのではなくて,あくまで担任教師の申し出で,私の空いている時間帯に要請があるのです。
私は,「授業こそ学校の営業だ」と思っていますから,「ありがとうございます。うれしいです!」と言って,その教室へ出かけるのです。
その教室へ行くと,子どもたちに「こんにちは」と挨拶して,一緒に担任の先生の授業のお手伝いをしたり,担任の先生がメインティーチャ―になって,私がサブになったり・・・・空いた椅子に座って授業の推移を見守り,私も「先生,今のO君の考えをみんなでもう一度考えて見たら,どうでしょうか」などと,介入したりすることもあります。
「授業参加」で心がけたこと
私がそんな「授業参加」で心がけていたことは,「校長先生に授業参加してもらって,すごくよかった」というお得感があることです。
「二度と校長先生なんかに授業を参観してもらいたくない!」なんて言われたら,私の不徳の致すところです。そして,何よりも授業をすることが,「やりがいのある仕事だ」「授業で子どもが真剣に取り組む姿に感動した」という体験を教師自らに味わってほしいと思ってやったことでした。
そこだけは,細心の注意を払いながら,日々過ごしたことでした。(この点については,『教師のリーダーシップ力をきたえる』(黎明書房)に詳しく書きましたので,参照してくださるとありがたいです。)
前田校長の「授業参加」のうわさが広がる
「前田校長さんが,職場の教師たちと一緒に授業研鑽をしている」という「うわさ」は,市域の小中学校にも広がり,日常的に授業参観に来てくださる先生方がいました。私の職場の教師たちも,「見られる」ことにむしろ張り合いを感じ,「何か学べる」わくわく感を持って,いつでも公開OKとして教室の垣根を低くしていてくれました。
そんなことを岐阜大学の公開講座でお話ししたことでした。そのことをH教頭先生は聴きつけて,「前田先生の学校は,私の隣町です。ぜひとも私たちにも先生の学校の授業を参観させてください」となったのでした。
H教頭先生の行動力は俊敏です。その翌週,H先生は数名の教師を伴ってわが校の授業を参観されたのでした。もちろん,私も普段着の「授業参加」を行いながら,「ありのまま」を見てもらったことでした。H先生の授業参観はその後も続きました。
これが私とH教頭先生との出逢いでした。
その年の春,私は38年間の教師人生に別れを告げたのでした。
3 「力量向上講座」と言う授業公開日を設けているK小学校
退職後,H教頭先生から指導を依頼される
私が退職して,しばらくのんびりした時間を過ごしていると,H教頭先生から電話がありました。「前田先生,ぜひとも先生にわが校の授業実践に関わってほしいのですが・・・」と。
突然のお話で少しばかり戸惑いもありましたが,私もお誘いのままに伺うことに。
K小学校を訪問した時,一番心を引き付けられたのは,H教頭先生を中心にして,K小学校の内部で,授業実践についてあれこれ議論しているという事実でした。
ふつう,私がうかがう学校は今でもそうなんですが,授業構想について,当日の指導案について,中には教材発掘から,私にもたれかかってくる学校や教師たちもいます。つまりその職場の中での「学び合い」が成立していないのです。外部講師としての私に丸投げなんですね。
「学び合い」「教え合い」が行われているK小学校
ところが,K小学校は,違います。私には一切授業前に相談や指導を要請する動きはありません。あくまでK小学校の仲間内で勉強会を開いて,「学び合い」「教え合い」が行われているのでした。そして,6月に2日,11月に2日,2月に1日の授業公開日を設けて,「力量向上講座」と名付けているのです。
その発案は,H教頭先生の発案です。しかも公開授業者は立候補制を採用しています。学校によっては,「年間みんな一回は研究授業を」と公平にやっている学校が標準です。でもH教頭先生は,「他人から押し付けられてやるのではなく,ほんとうに学びたい,授業の腕を磨きたいという教師にこそ機会が与えられるべきだ」と考えていました。本人のやる気と自覚を待っての手法です。
もちろん.初期の頃は,それでもH先生にお尻を押されて,しぶしぶ立候補する教師もいました。そんな教師には,H先生は自分の仕事を放り出しても,援助したのです。授業構想から,本時の板書の在り方までを含めての具体的な相談事に応じたのです。
「力量向上講座」と銘打っての公開は,何も研究発表会を控えているからというような,紐付きではありません。まさに「日常的な研鑽」です。H先生の熱心な姿勢や言動は,やがて多くの信奉者を生み出していきました。いや,この学校では,H先生だけではなくて,校長先生も教務主任の先生も,積極的に「援助」や「相談事」に応じて・・・・まさに学校総出の営みになってきています。
ただ,そうは言っても,H教頭先生の学校が,夜遅くまで授業実践の研鑽のために,遅くなることはありませんでした。
誰もが少し無理をすれば手の届く研鑽を主導するH先生
H先生は,若い頃,夫婦共稼ぎで,教師を続けたのでした。子育てに追われながら,時間をやり繰りしての日々であったのです。だから,職場の教師たちの授業研鑽が,「学校にいつまでもいることのできる教師しかできないこと」にしたくなかったのです。「誰でも少し無理してがんばれば,できること」でありたいと,つねづね考えての実践活動であったのでした。
私は,そんな点にもとても共感するものがありました。
授業はきわめて日常的な営みです。その営みが,質高く継続するためには,まずは,誰もが少し無理をすれば手の届くやり方であることです。私は,そのことを「教育実践の日常化」と言い続けてきていました。だから,K小学校のやり方には,心底納得できるものがありました。
K小学校の授業研修は,格別会議を開いて行うものではなく,「ちょっとした立ち話」や「教室の黒板を前にしての明日の板書づくり」「教材発掘するために,一緒に朗読会をする」など,手軽で「私も参加してやってもようかしら」と思える手法です。したがって指導案も分厚いものをつくるのではなく,本時の指導案を中心にした公開授業の開催です。
4 K小学校の「力量向上講座」とは
6月と11月の「力量向上講座」
K小学校の「力量向上講座」は,6月と11月に,2日間ずつ行われます。その中身は,朝の1時間目から5時間目まで,立候補した教師たちが,それぞれ教室を公開します。それが2日間続くのですから,2日間で,10時間の授業を参観することになります。つまり10名の教師たちの授業公開が行われるということです。
6月に授業公開した教師が,11月に再度行う場合も多々あります。また,2月にも一日同じように行われますから,多くの教師が年間2回の公開をすることが普通になっています。
私にとっても,この2日間はなかなかの強行軍です。それは連続して5時間の授業を参観するということに加えて,休み時間や昼食の時間には,それぞれ個別に私の感想や授業者との意見交流をするのです。それは一方的な「前田の指導」ではありませんが,意見交流をする中で,互いに「学び合い」の緊張感のあるひとときを過ごすのです。
午後の5時間目の「全体研修の授業公開」
午後の5時間目に行われる授業は,「全体研修の授業公開」として位置づけられています。この「全体研修の授業公開」は,校内の教師は全員参観するのですが,それに加えて市内外からの外部の教師たちも参観するのです。その数はかなりの数に上ります。そして授業後「検討会」がもたれます。
「検討会」
この「検討会」は,授業参観者が,数名ずつのグループに分かれて,授業参観者が感じた「こだわり」を出し合いながら,「授業分析」を行います。それは「他人の授業を批評する」というものではなく,自ら「授業をした当事者の意識」を持って参加します。
もちろん,この「検討会」が始められた頃は,参観した教師たちに授業を見る目がなく,貧相な検討会になったものでした。しかし,だんだん年数を重ねるにしたがって,白熱したそれ自体に意味のある質的にも優れた発言が飛び交うようになってきました。
「授業分析会」
この全体研修の授業は,これだけで終わりません。夏季休業中に,「授業分析会(授業記録を読む会)」として再度行われます。これは,授業を一字一句文字化して,「授業記録」としてまとめます。(余談ですが,この授業記録を誰がつくると思いますか?それは授業者本人の場合もありましたが,校長先生,教頭先生,教務主任の先生が時間をかけてテープ起こしを行うのですよ)
それを職場のみんなで読むのです。私もその会にも参加します。それは,授業分析の手法に学びながら,「全員で声を出して読み合う」ことに始まり,「分節」に分けて,その授業の問題の所在を明らかにしていきます。
「授業分析会」は,6月の授業を公開した当日には,「見えていなかったこと」「その後の子どもの動きからの検証」を含めて,きわめて地道な営みです。多くの学校で,全体授業研究が行われますが,なかなかここまで行う学校はありません。
昭和の40年代後半から50年代にかけては,こんな逐語記録をつくっての「授業分析会」「授業記録に学ぶ会」は,各地の学校で行われていました。しかし,時代の推移に伴うことであったのでしょうか,次第に行われなくなってきました。それだけ各学校の教師たちが忙しくなってきたのでしょうか。
それとも「いじめ」や「不登校」あるいは,保護者のクレーマー的な存在に学校が脅かされて,「授業分析会」を行う心の余裕を失ってしまったのでしょうか。いずれにしても,いまだにK小学校では,なんとか夏休みの一日をそのことに費やしているのです。
5 K小学校の今―引き継がれる「力量向上講座」「授業分析会」
残念ながら,今はK小学校にH教頭先生の姿はありません。1年前に退職されたのです。それだけに「試練の時」を迎えているとも言えるK小学校です。
しかし,去年も今年の夏も相変わらず「力量公開講座」は持たれています。夏季休業中に,「授業分析会」も行われています。
それは,後から赴任してきた先生方に,ていねいに引き継がれているとも言えます。公立の学校では,たとえその学校ですばらしい実践活動が行われていても,時が流れ,人事異動でその屋台骨を背負った教師たちが去っていくと,その校風はあっけなく崩壊していきます。いや崩壊という表現は適切ではありませんね。教師たちの異動が何度も何度も繰り替えされて行くうちに,「忘れ去られて行く」という表現が適切でしょう。
K小学校もご多分にもれず,危うい事態になっているとも言えます。しかし,不思議なことに,今年もまた「力量向上講座」は開催され,夏の分析会も行われてきました。H先生の存在の大きさが空けた穴の大きさは,予想以上のものがありますが,それを引き継ぐ職場の教師たちの「危機感」が,なんとか「学校の営業は授業だ」を忘れさせていません。新しく赴任された教頭先生や担任教師たちも,みんな歯を食いしばってがんばっているのです。
さて,今回の私の報告はここまでにしておきます。
この続きは次号に引き継ぎたいなと思っています。
K小学校で実際に行われている授業実践がどのようなものであるか,そんな視点でお知らせできればと思っています。
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