1 健気に授業する生徒たち−再建された中学校を訪問する−
2 菊の花びらの飛ぶ教室−荒れる中学校を訪問する−
3 傍観者であってはならない
4 捨身になること
5 新たな出発
6 親身になる
7 新年度を迎える
8 「生徒全員の授業参加」を柱にする−学習規律・生活規律10カ条−
9 授業を開く,教室を開く
中学校で,「学校が荒れる」ということは,「学級崩壊」とは別の意味で,中学校勤務をしたことのある教師であれば,多かれ少なかれ体験しています。
今回の事例は,ある中堅都市の大規模校に吹き荒れた「荒れ」が,どのようにして終息していったのか,そしてどういう実践活動で再建への道を歩んでいったのかを記していきたいと思います。
1 健気に授業する生徒たち−再建された中学校を訪問する−
私はS中学校での一日を過ごし,帰路についたのでした。私の心は,今日一日のこの学校の生徒たちと教師とで繰り広げられた授業の姿が,何度も何度も充実感に満ちた姿として思い出されたのです。「よくぞ,ここまでS中学校も再建してきたものだ」それは私にとって,感慨深い安堵の気持ちでもありました。
今朝,S中学校へ行ったとき,生徒たちの「おはようございます!」「こんにちは!」の明るく溌剌とした挨拶に,心から「おはようございます」「こんにちは」とこちらも笑みをたたえて応えたのです。
教師たちの動きも,てきぱきとして快活です。「教師に活気が溢れている!」そんなことを思ったのです。あの数年前に出会った疲労感をためこんだ顔つきとは雲泥の差です。
その日,授業公開は3つの授業で行われました。2年生の英語,3年生の美術,1年生の数学の授業でした。
特に3年生の美術の授業は,「一枚のケント紙で,できるだけ高い塔を作ろう」という課題に,4名の男女混合の班が挑戦するものです。私はその光景に目を見張りました。男女が実に真剣に工夫と作戦を立てて,「こうじゃないか」「ああじゃないか」と言葉を交わしながら,試行錯誤しているのです。健気な生徒の学習姿勢を強く感じて,心地よい感動さえ覚えたのでした。
3年生の生徒が,こんなにも素直に授業に立ち向かう……,それも,「ケント紙で高い塔を作る」という一見あほらしい気分にもなりかねない授業でも,きちんとした授業が成立しています。3年生の生徒の育ちは,そのままこの学校の「作品」です。
1年生の授業の数学は「全員発言・全員参加」を標榜し,それを見事にクリアした授業でした。生徒の素直で真剣な学び合いに,心から賛辞を贈ったのでした。私はこの学校の数年前の出来事を思い返していました。
2 菊の花びらの飛ぶ教室−荒れる中学校を訪問する−
廊下を校長さんに案内されて,階段を上っていくと,「よう! コウチョウ! ゼッコウチョウ!」の猥雑などなり声,チャイムが鳴っているのに,教室に入ろうともせずに,たむろする生徒たち。服装も乱れて表情も険しい……。二,三人の教師がその生徒たちを制止しているのですが,治まりません。
校長さんは別に注意するようなこともなく,歩いていかれます。私はその後をついていったのですが,その騒然とした雰囲気に,そこから退却したい気持ちになりました。それは今から6年前のS中学校との出会いの日でした。
授業参観する教室に入ると,チャイム着席はおろか授業の用具が散乱しています。国語の授業でしたが,教科書の出ていない生徒が大半です。授業者の教師は若い女性です。しばらく間があって,やっと授業開始になりました。生徒たちの姿勢は崩れています。私語をしている仲間もいます。何より机にうつ伏せになり,寝込みを決めている生徒が数名いました。私は,「これは授業参観どころではない!」と思いました。
そのうち教師の範読が始まりました。そのときです。誰がやったかわかりませんが,菊の花びらが天井にぶつけられたのでした。私はその光景に唖然としました。校長さん以下全職員(各教室を巡視している教師を除いて)の見ている前で,菊の花びらが投げつけられているのです。
私は,たまらず,それでも落ち着いた口調で「○○先生,私も一緒に授業をやらせてください」と言って,教壇の授業者に近づいたのでした。「みんな今授業をする時間だよ。さあ,私も応援するからがんばろう」の声に,バカ笑いの声。私はすかさず「みんな立ち上がろう。そして今の先生が読もうとしている場面をみんな一人ひとり読んでほしい」と毅然と言いました。「何で読まないといけないのだ!」そんな声も聴こえますが,私はきちんと生徒の起立を促して,音読をさせたのでした。生徒の一部ですが,小さな声で読むのでした。「そうそうそれでいいよ,がんばって読もう」私は続けます。
その授業時間は,私の「介入」で授業者も脇役になってしまいました。
終わった後「どうでしょうか。きょうの授業は私のような外部から来た者がやってはいけないかもしれませんが,私はこれまで多くの学校でみんなと同じ2年生の授業を見てきました」「みんな部活動の大会があることは知っているね。そんなとき,負けたくないという気持ちは激しく厳しい練習をしてきた人ほど感じることでしょうね。授業でも同じです。きょう,最初みんなの授業を見ていて,これは他の学校との試合としての授業だったら,完全に君たちの負け試合だと思ったよ。だから,そんな負け試合をしているみんなになってほしくないな」と言ったのでした。
生徒たちは見も知らない私に言われてキョトンとした顔つきになっているのでした。
3 傍観者であってはならない
授業後,その学校の全員の教師が会議室に集まりました。私が,「介入した」ことは,全職員にとって大きなショックを与えたようでした。協議会は即刻中止されて,私からの一方的な話に切り替えられたのです。
私は努めて冷静に「先生方,負け試合を演じているのは,先生方ですよ」「菊の花が投げつかられても,授業者の授業が成立していなくても,ただ参観しているのでは,無情な傍観者です!」「あなたがたは,確かに疲れているし,無力感を感じているかもしれません」「でも,立ち上がることが今こそ必要です。がんばりましょう!」と呼びかけたことでした。
校長さんも,他の教師たちもうなだれているのです。「先生方,顔をあげてください。大丈夫ですよ。迷った時,苦しい時,どん底に落ち込んだときこそ,原点に戻りましょう。基本に戻るのです」私は,そんなことを言いながら,先生方を見まわしたのでした。
4 捨身になること
学校が荒れるという状況が生まれる要因は,一様ではありません。生徒の家庭生活の荒れが,そのまま学校に持ち込まれたり,数人の生徒の突出した言動が荒れを誘発したり,さまざまな要因をあげることができます。そして,間違いないことは,教師たちの結束の乱れが荒れになることは確かな事実だと,私は長年の経験から思うのです。
S中学校の荒れは,教職員の一体感の欠如をあげることができると私は即座に思いました。とくに管理職と一般教師との信頼関係の無さが,連帯感を欠如させているのです。管理職に必要なのは,「教職員の取り組みの責任はすべて私が背負う」という気概です。
「校長先生,苦しいとは思いますが,捨身になることでしか,教師たちの信頼を得ることは不可能です。教師たちはこの荒れた状態に,どういう手を打っていいのか,臆病になっています。結果主義にならない校長先生の姿勢を示してください」私は,まるで校長先生を責めるような無礼な言動をしていました。
「わかりました。私が臆病になっていたかもしれません。先生の言われる通り,今の状態を打破するためには,私が身を捨てる覚悟をしっかりすることですね」校長さんの目はうるんでいました。「校長先生,今のS中学校はあっちこっちでボヤ的な火事が起きているのですね。その原因が何であるかを見極める必要ももちろんありますが,まずはそのボヤの消火です」「たとえ小さな火でも見逃さないで、まずは消し止めることに奔走することです」「そして,その一方で,教師のみなさんには毅然として授業や学級経営を実践する勇気を持ってもらうことです。逃げないようにお願いすることです」
S中学校では,ただちに緊急全員会議を行いました。そこで校長さんは自らの「決意」と教師のみなさんに「お願い」することを率直かつ毅然と宣言したのでした。「すべての責任は私にあります。確かに今この学校は荒れの旋風が吹き荒れています。しかし,多くの黙秘している生徒たちは,真面目に学校生活を送りたいと望んでいるのです。そのことを私は忘れていました。私は今ここに『辞職願い』をしたためました」「私も生まれ変わったつもりで精進します。どうか先生方,毅然として,そして粘り強く動いてください」校長さんは,身を震わせて宣言したのでした。
5 新たな出発
その日から,新たなS中学校の実践活動が始まったのです。教師たちは「逃げない,見過ごさない,あきらめない,あせらない」を合言葉にして動いたのです。
残念なことにその後も教室の窓ガラスが割られたりコンセントがつぶされたり……教師たちへの暴言が続いたりしました。それでも教師たちは,生徒の目をしっかりと見つめて「向かい合う」ことに徹しました。さらに3学期になると,対教師暴力行為が起きました。これはほんとうに慙愧に堪えないことですが,警察に通報する処置をとらざるを得なかったのです。マスコミによって報道されることを「醜態」と考え,以前ならば躊躇した校長さんであったのですが,今は違います。「いけないことは断じていけない」と宣言することによって,多くの生徒たちが,学校への教師たちへの信頼感を失わないようにしたいと念じて断固処置したのでした。
教師たちはエネルギッシュに動いてくれました。もちろん校長さんも率先することに徹していったのでした。「会議よりも生徒に近いところで取り組むことこそ仕事だ」を念頭にして,迷いなく突き進んでいったのでした。
そんな教師たちの動きに触発されるかのように,生徒会が動き出して,各教室の掃除が始まりました。いままでほとんど汚れ放題になっていた教室が,「磨かれ」出したのです。異臭を放っていた床がていねいに磨きこまれていったのです。少しずつほんの少しずつですが,生徒たちが「教室の中での落ち着き」を取り戻してきたのでした。
6 親身になる
私はその後も数回,S中学校を訪問してきました。そこで強く感じてきたことは,捨て身になって取り組んでいる教師のみなさんの姿というよりも,明らかに生徒と親身になって動く姿であったように思えてきたのです。
それはどう言えばいいのでしょうか。
教師は,生徒たちに「心のノート」と称する交換日記を行っています。また,毎日夕暮れには,「黒板日記」を明日の朝,生徒に読んでもらうために書き込む姿が見られるようになってきました。そして何よりも,一人ひとりの生徒への寄り添い方が,濃密になってきていました。家庭訪問を日常化して,それぞれの生徒の悩みや希望に耳を傾け,「悩みや苦しみを見つけただけでも明日がある」と語りかける教師たちになっていったのです。
それは一見教師の営為が多忙化したように見えるでしょうけれど,S中学校の教師たちには,これまでのような「後追い」的な生徒指導の後始末に忙殺されていた日々を懐かしく思うほどの「歓び」になっていたのです。
「前田先生,まだ施設でお世話になっている生徒もいるし,不安定な言動をする生徒もいますが,・・・それでも学校が明るくなったように思います」「先生たちがよくやってくれるの一語に尽きます。私も『ごくろうさま』,『ありがとう』をたくさん言える今の職場が好きになってきています」私は校長さんのそんな言葉に心から賛辞を贈りました。
「親身になることは,私の長い教師生活の中で,生徒にしてやらないといけないことだと思ってきました。なんだか彼らに恩義を感じさせることだと思っていたのですね。でもそうではないと教えられました」校長さんは,今まさに「人に寄り添い人が育つことに関われる歓びをかみしめている」そんな姿に,私の目には映りました。長い辛苦の中で,身を挺して「教育の意味」を体感するS中学校の教師集団になっていったのです。
7 新年度を迎える
多くの事態の収拾に明け暮れた年度が終わりました。あれほど迷惑をかけた生徒たちが卒業式では号泣して,教師たちを感激させました。あきらめずに,逃げないで関わってきたことの証しを見たような気持ちになっていったのでした。
年度が改まって,教師たちの異動も発表されて……新たなスタートをS中学校も迎えたのです。教頭さんと教務主任さんを含めて,10名に及ぶ異動がありました。「荒れたS中学校への赴任」に及び腰になっている面々と「そんな学校へ期待されて赴任したのだ」という前向きにとらえている面々と。
そんな中で,教頭さんの異動は,まさに新風を吹き込むに十分でした。教頭さんは,過去に荒れた学校の体験をしっかり持った方です。それに加えて教務主任さんは女性ですが,これまた果敢に挑む熱血教師です。
校長さんは,この2人の教師を前に,前年度にあったことをつぶさに語りました。「捨身」で挑むことに徹したことを語りながら,「あなたがたが,同じ同志としてこの学校に来ていただいたことを,たいへん心強く思っています」と,期待感に満ちた言葉を贈ったのでした。
教頭さんも教務主任さんも,校長さんの話を聴きながら,「できあがった学校に赴任して,私たちが来たために学校が荒れるよりも,今から学校づくりにまい進できることを歓びにしていきます」と力強く誓うのでした。
8 「生徒全員の授業参加」を柱にする−学習規律・生活規律10カ条−
校長さんを中心にしての四役会議では,「取り締まりの生徒指導から,生徒全員の授業参加」を合言葉にして,この一年を経営しようと,確認したのです。
生徒にとって「わかる授業の実践」を柱にして,つねに弱い立場の生徒や学習を放棄している生徒への根気強い支援を決して忘れず,「見逃さない,見離さない全員参加の授業実践」をしていこうと職員会議で決議していったのです。
大所帯のS中学校では,学年によって足並みが乱れたり教科指導において学習規律にズレがあったりしていたのです。いわば,それぞれの学年や教師にお任せ主義で,「我流の授業や学級経営」が横行していたのでした。そんな「我流」であることから起きる不具合が各所でほころびになっていったのでした。
年度初め,教務主任の提案する「S中学校の学習規律・生活規律10カ条」を職員会議で徹底的に審議して,各学年,各教科で実施することにしたのです。10カ条ではなくて,もっと「あれもこれも」と言う意見もありましたが,あえてシンプルな誰でもいつでも口をついて出てくるわかりやすい表現方法で,とりまとめたのです。
<S中学校 10カ条>
1「S中学習のルール5カ条」をしっかり指導します。
2 導入は短くするよう心がけ,「ねらい」(課題)をはっきりさせます。
3 授業の中に「見つけ学習」を取り入れ,参加度を高めます。
4 様々な方法で挙手発言を促し,話し合い活動を活発にします。
5 実物、写真や図などを使って,関心・意欲を高めます。
6 発問や説明はわかりやすく,しゃべりすぎないようにします。
7 ベルタイマーを使って時間を意識させ,集中力を高めます。
8 アイコンタクトをつねに意識し,受容と称賛を心がけます。
9 1時間の授業の様子がわかるような板書を心がけます。
10 授業終了を意識し,着陸態勢に入ります。
この10カ条は,ある点で,どこの学校においても当たり前のこととされていることでしょう。しかし,それをどれほど教師が「意識して」いるでしょうか。日々の授業や学級経営を実践する際にそれぞれの教師の「意識」に温度差があったら,まずは「絵に描いた餅」でしかありません。「1つ1つの条文を努めて意識して実践するS中学校を実現する」ことが,年度初めに宣言されたのでした。
9 授業を開く,教室を開く
教頭さんも教務主任さんも,まずは自分の担当する授業の中で,率先してこの10カ条を実践することにしたのです。四役が一般教師に対して「あなたがたはやる人,わたしやらせる人」という姿勢では,学校は変わっていきません。管理職的な立場にある教師が,まずは実践してこそ一般の教師たちが動き出すと考えるべきです。
教務主任さんは,理科教師です。生徒たちの「やってみたい! やらなければならない!」と奮起する姿勢を生み出すために,これまで自分の培ってきた教材を使って,この10カ条をていねいに生徒に意識づけていきました。私がその年度になって,初めてS中学校へ行ったとき,真っ先に教務主任さんが,「先生,この間,2年生の理科の授業で全員発言を二度も達成しました」と報告されたのです。その顔つきは,笑顔で溢れていました。
教務主任さんや学年主任さんたちが,まずはそれぞれの授業をつねに公開する姿勢を見せたことは,S中学校の中に「10カ条の共有」を強く意識づけていきました。廊下側の窓ガラスがつねに開け広げられて,廊下を通っただけで,その教室に流れる空気を感じ取れるようになっていったのです。「授業を開く,教室を開く」ことは,そんなに難しく考えることではありません。教師みんなで「S中の生徒を育てるんだ」という「はりあい」を持つことです。あの「嵐のような日々」を決して忘れないためにも,S中学校の教師たちは,愚直に誠実に歩もうとしているのです。
好評! 前田勝洋先生の“教師の知恵とワザ”の真髄を伝える4部作(黎明書房刊)
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