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前田勝洋 教育を拓くC
教師としての技量を伝えていく営み

−若き教師の誕生にどうかかわるか−

「愛知県授業名人事業」で関わった二人の教師
指導ではない,聴くことだ−「私指導する人,あなた直す人」ではいけない−
T・T方式での授業実践
継続して授業を観ることの意義
今,職場にコミュニケーションはあるか?


 今年度も新しく教師になられた人たちがいます。その人たちにとって,この4月の1カ月がどんなに長く感じられたことか,推し量るに余りあると思います。
 なりたくてなった教職という仕事も,日々の仕事を進めることになると,戸惑うことばかりでしょうか。あれやこれと後手後手に回り,何もかもが徒労とも思える「もがき」の中にいる自分を強く感じるのも,フレッシュな教師の道ならではの悩みです。

 そんな新任教員育成のプロジェクトは,全国的に,初任者指導員の配置や拠点校指導員という名称で,若手教員の育成をめざす取り組みとして,ここ数年着実に根付いてきているように思います。
 新任教員育成プロジェクトも,その発足当時は、どちらかというと,自分の勤務する学校を離れて,別の教育センター的な場所での研修が重視されていました。しかし,「現場」を離れた新任教員育成のプランは,その当初からさまざまな問題を抱えていたように思います。

 新任教師にとって,一番重要な関心事は,「今目の前にいる子どもをどうすることが,最適な指導なのか」「明日の授業をどう展開したらいいか」「この保護者の不信感をどうやったらぬぐえるか」なのです。そして,そのことに艱難辛苦する日々なのです。
 あれやこれと押し寄せる難問に汗しながらも,疲労感も襲ってきます。

 若い教師にとって,「今目の前に起きていること」について,知恵を貸してくれる先輩は神様でしょうか。藁をもすがる思いで目を凝らし耳を傾けてくることでしょう。私が思うに,教師の技量を含めた「教師道」の伝授は,「現場主義」を置いて道はないと強く思っています。
 そんな中で,数名の新任教員を抱えての指導教員の設置という今の指導方法の在り方は,一定の評価ができる施策ではないかと私は思っています。

 もちろん,このプロジェクトが制度的に整っているからといって,すべてOKではありません。やはり「指導する教師」によっても,その指導の成果は左右されます。
 指導を受ける新任教師の側にも,さまざまな資質によって,すべてうまくいっているとは言えません。

 私は,今から数年前,この愛知県で企画実施された「愛知県授業名人事業」という事業に関わる機会を得たことがありました。この事業は数年実施されましたが,その後頓挫してしまいました。私はそのことをとても残念に思っている一人です。団塊の世代の教師が引退して,若い教師の採用になったのですが,その切り替えをスムーズに行くようにしたのがこの制度です。
 この事業は,若手教師の指導技量を先輩教師に学ぶことによって,教師として自信を持って教壇に立てるようになることをめざしたものです。私はこの事業に3年間関わることによって,「一人の若者が,教師になる」ことに,私自身が,どう向き合っていったかを記してみたいなと思います。

 1 「愛知県授業名人事業」で関わった二人の教師

 授業名人事業の1年目,私はある小学校から依頼を受けて,その学校の二人の教師に関わることになりました。

 一人は女性教師で,教師歴4年目。教科の専門は音楽科です。彼女はそれまで低学年ばかりを担任してきましたが,私と出会ったそのときは,5年生を担任していました。とても熱中タイプでひとみが大きく,笑顔が明るく元気いっぱいの教師でした。

 もう一人は2年目の男性教師。こちらは体育系のにおいをプンプンさせた男です。2年目ということもあって,話すことが苦手で,黒板に書く字もぎこちない教師。私に出会ってからも,「自分は教師に向いていないのではないか」と彼の口から何度聴いたことか……そんな教師になりたてのほやほや人間です。

 私は,同じ学校に勤務するこの二人をこれから1年間かかわることを通して,素人としての人間が,教師として育っていくことを応援することになったのでした。そのとき,私が一番はじめに自分に戒めたのは,「二人を比べたり,競争させたりして追い込まないようにしよう」ということでした。

 以前勤務していた学校で,新任教師として赴任してきた二人の教師を同じ学年に配属してライバル意識を持たせたら,きっと刺激的な1年になるのでは……とやってみて,大失敗をした苦い経験があるからでした。
 その二人はライバルになるどころか,コミュニケーションを図ることもなく,互いに疎遠な関係になっていって,不幸な一年を送らせてしまったのでした。いい意味での競争的な関係を持たせることができなかったのです。二人には,焦りと不安を結果的に煽ることになってしまったのでした。

 「今回も同じ轍を踏まない」それが,私が最初に意識したことです。二人の持ち味をどれだけ引き出すことができるか,若さが武器になるような教師になってほしいなと思ったのです。


 二人は,最初に出会ったとき,とても緊張していました。考えてみればそうです。私とは40歳も離れているような世代です。いままでまったく人間関係もない彼らと私との出会い。私は,自分の自己紹介を兼ねて,自分の新任時代の失敗談を2つ話しました。

 私の新任教師としてのスタートは,中学校でした

 失敗談の一つ目は,板書に書く漢字の書き順を巡って生徒の信頼を裏切ってしまったこと,生徒の前で自分の書き順の間違いについて,素直に謝れなかったことを話しました。ほんの些細なことであっても,いつの間にか,教師としてのプライドだけが先行している自分であったことを語ったのです。生徒の前で,負けを宣言することは,教師としての自分がなめられると思って,素直になれなかった自分だったのでした。

 2つ目は,エコひいきしているつもりはなくても,男子生徒に厳しくしてしまって,女子生徒に甘くなって,男子生徒の突き上げを食ってしまったことです。当時の自分としては,女子生徒に甘くなったというよりも,女子生徒を叱りきれなかった「照れ」のような異性意識が働いていたことで,授業をしていても,生徒たちの信頼を得られずに苦労したことを話したのです。

 これら2つの失敗談は,教師の本質的な技量とは無関係のようなことです。しかし,教師としての信頼を子どもから得ることは難しく,教師と子どもの亀裂はそういう何気ない些細なことに始まり,大きな亀裂に発展するものだということを伝えたかったのでした。

 この失敗談から,コーヒー談義を進めていったことは,結果的に二人の若い教師の気持ちをらくにさせたようでした。「失敗を恐れることよりも,失敗から貪欲に学ぶ人間になる」ことも,彼らには刺激的であったと思うのです。
 失敗はいくらしても,それは自分には仕方ないこと,問題は失敗の上塗りをするような見栄や立場にこだわることです。そこをこの二人は新鮮に受け止めてくれたのでした。

 2 指導ではない,聴くことだ
   −「私指導する人,あなた直す人」ではいけない−

 「若い教師を指導する」立場に立つと,とかくその若い教師の弱点を矯正したり,さまざまな欠点をあげつらったりして,新たなことを要求することになりがちです。
 「指導すること=要求すること」というイメージをその二人の若い教師に印象付けないでいきたい。これが,私の二番目に思ったことでした。「私指導する人(要求する人),あなた直す人」という図式は,受け手である若い教師には酷な図式です。

 私が,その若い教師を前にして,一番心がけたことは,二人にとって私が「よき聴き手」になることでした。

 「この頃,どうなの?」で私は会話を始めることにしていました。それによって若い二人が,「この頃の自分を語ること」を促したのです。「そうか,そんなうれしいことがあったのか」と感嘆したり,またあるときは「そういう悩みがあったのか」と受け止めたり……要は二人の思いをキャッチングする姿勢を貫いたことでした。

 5年生を担任している女性教師は,「女の子の扱いの難しさ」に直面していました。「教室でもいくつかのグループができていて,いつもこそこそとした空気が流れているのです。私はそんな空気が嫌だから,払しょくしたいなと思うのですが,どうにもよどんでいるのです」と自分の学級の体質的な問題を語ります。
 「なるほどねえ,それであなたはどうしたのか」とまたつなぎます。「私は,そのグループのボス的な女の子が,私に敵対意識を持っているような気になりましたから,話してみたんですね。でも『別に』ということで,話は進展しません。シラーっとした空気が流れるばかりです」そんな話に,私はもう一人の男性教師に「聴いていてどう思うか」と振ります。

 「ぼくも今6年生で同じようなことを感じています。そういうことが起きているんですね。ぼくもうまくいかないので,学年主任の先生に話したら,『それって成長痛のようなものなんだろ。だから女の子が通る道だよ』とケロッとして話されたんですよ。」「その先生の言われるには,教師であるこちらが意識すると,返って泥沼にはまるから,しばらくは素知らぬ顔をしておいたらと言ってくださったんですね。それで私は気になるけれど,ほっといたんです。まあ今はそれでも気になりますが……」

 ここでも私は,「なるほど」と相づちを打ちます。
 こういう生活指導的な問題は,事情が個別的で,それぞれが微妙に異なります。だから,私も無理な回答をしませんでした。そうやって二人が語ることによって,自分の振る舞いを鏡に映すような営みが意義深いことだと思ったのです。

 私は二人の教師を訪問する日は,必ず二人の授業を参観します。その場合も,その授業を参観した感想をすぐに語ることはありませんでした。まずは,「やってみてどうだった?」と授業者本人に自己分析をさせます。私は最初はまずは聴き役です。「子どもたちがこだわっているところと,私があらかじめ予想していた山場のところにズレがあったと思いますが,私が強引に引っ張ってしまったところがいけなかったかなと思っています」と教師は話します。
 授業が終わった後,どこに授業者本人がこだわりを持っているかをはっきりさせないと,私がその授業をいくら分析的に語っても,その教師に届きません。彼らのこだわりを受け止めて,そこを切り口にして話すことをすべきだというのが,私の主張です。

 聴き役は,単なる聴き役ではなくて,その教師の関心事を受け止めながら,私の感じたまま見たままを語ることです。それを最初から一方的に,こちらが語ることをしたら,若い教師は聴く耳を持たないことでしょうか。「指導することは,要求することではない。その教師自身のこだわりにつなげて気づかせることだ」と言うのが,私のやり方でした。

 3 T・T方式での授業実践

 授業名人事業の事業要領の中に,「模範授業を名人がすることによって,……」という項目がありました。私はもともとこの「授業名人」という言葉が耳障りで嫌でした。ましてや,子どもの実態を十分に把握していない学級で,飛び入りの授業をするなんていうのは,やるべきことではないし,やれないと思っています。子どもの実態を読まないままに,授業実践を行うべきではないというのが,私の主張です。

 しかし,そうかと言って,やはりいつも参観しているばかりでは,どうも一方的です。そこで私は二人の教師の「授業をお手伝いする」という名目で,T・T方式の授業を行いました。
 私があるときは板書を受け持ってやったり,あるときはサブティ―チャ―になったりして,「今先生の言われたことをみんなはどう受け止めたかな? がんばれるかな」と問いかけます。「先生,もう少し時間をとってあげてください」とか「ちょっと待って,……どうだろうか,こういう別の視点から考えてみては……」と授業にそれとなく介入するのです。

 このやり方は,子ども目線から見て,どう映るのでしょうか。なんだか自分の担任の先生が,「指導されている」と思うでしょうか。「自分の担任の先生の教え方が未熟で,叱られている」と思うでしょうか。

 そう思われてしまうような「介入」は,やはりまずいと思います。

 「授業を先生も一生懸命やるけれど,みんながほんとうに伸びていってほしいので,……そのためには,先生の2つの目,2つの耳ではダメだなと思って,……だから前田先生にも2つの目,2つの耳を使ってもらって……そんなふうにして授業をやるけれど,いいかなあ」と教室の子どもたちに語りかけます。そんな担任先生のことばに,子どもたちは異口同音に「いいよ」と言います。
 先生たちも授業を上手にやれるようになるために勉強しているんだという納得は,子どもたちに抵抗感なく受け入れられていきます。

 若い男性教師は,どうも子どもたちをじっくり見まわすことが苦手でした。つまり子どもたちの目線と教師の目線がガチンコしないのです。私はかねがね「アイコンタクトをしよう」と言っています。若い教師も私のアイコンタクトを重要視している姿勢を感じていますから,自分なりに悩んでいました。
 私はできるだけオーバーアクションで,アイコンタクトをして見せます。授業後,その男性教師は,「きょうの授業で前田先生がアイコンタクトを演じているのかなと思えて……ぼくもやれないなんて言っている場合ではなくて,『演じる』ことなんですね」と語りだしたのでした。
 こういうことが,T・T方式での授業介入で,二人の教師は体感していったのです。

 4 継続して授業を観ることの意義

 この授業名人事業の期間は1年単位でした。その間に,二人の教師の授業を何回参観したことでしょうか。あとで数えてみたら,それぞれ7回ずつ参観したことになっていました。このことは,この事業の最大のいい点だと思うのです。つまりよくある授業実践を1年で1回することによって,現職研修をやったという学校が大半の現実があります。「年1回は授業公開をして現職研修をする」という名目です。

 私は授業を全く公開しないで,密室の謀議にしているような教師を信用していません。たとえその教師が,どんなに理屈や理論を並べても尊敬に値しないと思っています。私たち教師の仕事は,子どもの前でどう動くことができるか,で評価されるべきです。そんなことから,多くの学校では年一回の授業公開を教師たちに義務付けてやっている学校が多いと思います。

 しかし,また文句を言うようですが,年1回の授業公開でどの程度の授業の技量向上が図れるのでしょうか。それは誰のために授業公開をしているということなんでしょうか。「校長がやれと言うことだから」「現職教育の年間計画で決まっているから」というようなことで,義務違反にならない程度に授業実践を公開することでは,とてもじゃないですが,授業の技量は向上しません。

 少なくとも,年2回の授業公開をすることによって,1回目の公開で不十分であったり改善を指摘されたりしたことが,2回目の授業公開でどう変わっているのか,見届けてこそ,本人にとっても納得のいく「勉強」になるのではないでしょうか。

 この授業名人事業の場合は,それを年間7回も授業公開をするというのです。一回程度ならば,「見せるための授業」や「ごまかしての授業」も可能ですが,7回となるともう裸同然です。ごまかしや隠しだてはまったくできません。それと同時に,前回の授業で見られたことが,どう変わっていったか,がはっきりと見えてきます。「よくがんばったね。ここまで指導を意識してやってくるには,日頃の授業において,地道に努力してきた結果だと思うよ」と前回の比較の中で,私も感想が言えます。もちろん,逆の場合もあります。「前に指摘したことや意識してやってきたことが,まだまだ見通しになって見えていないですね。もう一度がんばろう」と言うことも多々ありました。

 5年生の担任をしていた女性教師は,はじめのうちは,教科の授業を視野に入れていました。しかし,男女の間の問題,女子のグループ内の内紛などなどで,学級経営に悪戦苦闘をしていました。その結果,道徳の授業に力を入れて,彼らの脱皮を促したいと決断していったのでした。私も金子みすゞの詩集を手渡して,「みすゞワールド」を提唱していきました。
 そして,「他を思いやる」「強者の論理と弱者の論理」「人間の生き方の傲慢さ」などなどを取り上げている詩に出会って,子どもたちは,心底目覚めていったのでした。

 男性教師は,板書を毎日1時間でいいから,前日に意識して練習しようと決めました。毎日,子どもの帰った教室で,その教師は,模擬板書をしたのです。そして自分の書いた板書を教室の後ろから眺めて……自分でも何でこんなに不器用なのかと嘆きながら,彼は精進しました。
 私はそんな彼の精進の遅々たる進展をなんとか応援したいなと思いつつ,なにもできないままに眺めているばかりでした。それでも彼は1年の終わりになる頃には,板書をすばやくして,子どもに目線を向けてアイコンタクトをしながら,授業をする光景を生み出していったのでした。

 1年間の継続的な付き合いは,次第に二人の教師が自分の子どものようにさえ,思えてきます。二人への思慕が深くなり,つねに今頃どうやっているだろうか,がんばっているだろうかと思うようになるのです。

 あれから数年経ちました。二人の教師は今も元気にがんばっています。それぞれ二人とも今は中学校の現場で新たな苦労をしながら,それでも教師の仕事に生きがいを燃やしているということです。


 5 今,職場にコミュニケーションはあるか?

 今,学校現場を訪問して思うことは,職員室のそれぞれの教師の机の上には,パソコンが並んでいることです。あるとき,夕刻の職員室を訪問したことがありました。私は扉を開けるまで職員室にはだれもいないのかなと思って開けました。そうしたら,みんなパソコンに向かって無言で仕事をしています。

 私は今の学校現場に「雑談がなくなっている」ことを嘆きます。他愛のない話をする雰囲気がないのです。みんな忙しいのでしょうか。職員室の夕方の風景は,きょうの一日を振り返りながら,あるときは,うれしかったことを語り,あるときは悔しくて怒りを爆発させたことを語り……そうやってお互いに自分の精神のバランスを快復しながら,また明日に向かう……そんな光景を望むのは時代錯誤でしょうか。

 教師の中には,年間かなりの教師が心身症になったり体調不良を訴えて休職したり職場を離れたりすると言います。そんなことを聴くにつけて,「教師が孤立化」していくことを危惧する私です。学校現場から,教師の技量の伝授を行う環境が消え失せているように思います。これでほんとうに大丈夫なんでしょうか。今学校現場には若い教師がどっと増えてきています。
 彼らが一人前の教師として育つ環境をもう一度関係者は考えてほしいと思うのは,私だけでしょうか。





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